「萩八景」について
萩八景とは?
貞享・元禄(1684-1704)の頃に、毛利藩3代目藩主毛利吉就(1668-1694)が、山田原欽(漢学者)、安部春貞(国学者)、雲谷播?(王偏に番)(お抱え絵師)ら に命じて、萩城下の8箇所の景勝の地を選ばせ、これを「萩八江」と名づけられた。 それぞれ、詩、和歌、絵を作らせ、萩八景である「萩八江」の図巻を作らせた。
萩八景
- 1 倉江の帰帆
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橋本川の河口の風景を指したものである
遠しまや浪もひとつにみどりなる 雲よりいでゝかへる釣舟
- 2 玉江の秋月
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観音堂が建つ常盤島の対岸を指したものである
江の水にうつるかげさへ白玉を みがくはかりのあきの夜の月
- 3 桜江の暮雪
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現在の河添西側の対岸を指したものである
しら雪の夕の色はさくらはな 江の浪かけてちるかとそ見る
- 4 小松江の晩鐘
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現在の大照院付近を指したものである
山のはもかすみわたりて遠き江の 松よりつたふ入相のかね
- 5 上津江の晴嵐
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町の東南六本松の上流付近を指したものである
山川の瀬々の朝霧たえたえに 江の浪見えて行く嵐かな
- 6中津江の夜雨
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松本川を隔てた川島地区東側を指したものである
布くる夜の雨もふる江のしづか屋に のこるも細きともしひのかけ
- 7下津江の落雁
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松本川を隔てた弘法寺の対岸の無田ヶ原を指したものである
有明の入江のあしのほのぼのと あくる空よりおつるかりがね
- 8 鶴江の夕照
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現在の浜崎地区の対岸を指したものである
鶴のゐる入江の村の松原に 残る夕日のかけのさやけさね
和歌のテキストは出典により多少の異同があります。ここでは、大正七年十一月一日に白銀日新堂より発売された「長門萩八景」絵はがきに付属のテキストによりました。
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